Soga shouhaku...、ちょっと普通じゃないかも
先日、三重県立美術館にて開催をされていた曾我蕭白の展覧会に行って参りました。
曾我蕭白(Soga shouhaku)は江戸時代、京で活動をしていた絵師で、その氏素性.画歴については、おおよそのことまでは分かっていても、詳しい事は不明なことが多いようです。
ただ、蕭白の描く画の画風は、一度眼にすると誰もが、好むと好まざるとを問わず、その記憶に残すと思われる程、強烈な印象を放っています。
今回の展覧会のタイトルからもその印象の強烈さを推すことが出来るかと思います。
「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」
タイトルは、"曾我蕭白と京の画家たち"とされたいたのですが、出品されていた作品の殆どは、曾我蕭白の作品が多く、また、その作品もちょくちょく書籍で見掛けるような代表作が多く展示されていました。
同時代に、同じ京で仕事をしていた円山応挙や池大雅などの作品も展示されていたのですが、(多少の入れ替えがあったかもしれませんが)私が出掛けた時には、僅かな展示しかありませんでした。
要するに、曾我蕭白と言う絵師を知るなら、かなり見応えある展覧会だったと思います。
ですから...、すべて観終わるまでに随分と時間を要してしまいました。
そして、残った感想としては....、ひと言で言えば、滅多に見られないくらいに「わかりやすい絵師」だと思うのです。
ひたすらに直感的...、独善性に満ちている。
ただ…、観ていると、第一印象とその後の印象に違いを感じる。
最初の印象…、ショッキングなまでの生々しい印象...、もしかしたら眼を背けたくなる時さえあるかもしれない狂気的な印象...、その狂気的な印象に耐えながら(?)も、観ていると、時間を追うごとに、妙に惹きつけるものを感じるのです。
惹きつけられて感じる印象は、何処か滑稽さ、人懐こさを伴った穏やかな印象なのです。
この展覧会で怪醜なる言葉を見掛けましたが、それは確かに間違いない表現のひとつかも知れません。
また、蕭白の絵を観ていて、狂気やグロテスクさを感じることがあるかもしれませんが、そもそも、描かれている画が伝えるテーマや物語そのものとその怪醜的印象は繋がっているのです(この繋がりこそが蕭白の超絶技巧的な画の巧さでもあるかと思います)。
でも、蕭白の画の楽しさは、描かれた怪醜の奥底から滲んでくる「蕭白の気配」なのです。
蕭白の画には、描かれた絵そのもののから伝わってくる印象とは別に、描かれたその時の蕭白自身の感情とか気分とかが潜んでいるように思うのです。
絵の中には、華やかに、綺麗に描かれるものとそうでないものがあれば、「そうでないもの」を蕭白は自身の感情とか気分で描き上げているようなのです。
そして、その感情や気分は、気難しいかったり、自虐的だったりするものではないようなのです。
蕭白の作品に描かれている「人」や「獣」たちを観ると、怒りに狂った様や激しい気性に満ちた様はなく、ちょっとした笑みやユーモラスさをみることが出来るのです。
画歴や氏素性よりも、画を観ていれば、伝わってくるものが感じられる。
蕭白自身...、大らかで、豊かさを感じさせる気配があったのかもしれませんね。
*最後に..、掲載画像は、今回の展覧会の図録と展示されていた画のポストカードです。
蕭白の怪醜に満ちた画は、お好みもあるかもしれないので控えました。ご興味ある方は捜してみて下さい。
曾我蕭白(Soga shouhaku)は江戸時代、京で活動をしていた絵師で、その氏素性.画歴については、おおよそのことまでは分かっていても、詳しい事は不明なことが多いようです。
ただ、蕭白の描く画の画風は、一度眼にすると誰もが、好むと好まざるとを問わず、その記憶に残すと思われる程、強烈な印象を放っています。
今回の展覧会のタイトルからもその印象の強烈さを推すことが出来るかと思います。
「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」
タイトルは、"曾我蕭白と京の画家たち"とされたいたのですが、出品されていた作品の殆どは、曾我蕭白の作品が多く、また、その作品もちょくちょく書籍で見掛けるような代表作が多く展示されていました。
同時代に、同じ京で仕事をしていた円山応挙や池大雅などの作品も展示されていたのですが、(多少の入れ替えがあったかもしれませんが)私が出掛けた時には、僅かな展示しかありませんでした。
要するに、曾我蕭白と言う絵師を知るなら、かなり見応えある展覧会だったと思います。
ですから...、すべて観終わるまでに随分と時間を要してしまいました。
そして、残った感想としては....、ひと言で言えば、滅多に見られないくらいに「わかりやすい絵師」だと思うのです。
ひたすらに直感的...、独善性に満ちている。
ただ…、観ていると、第一印象とその後の印象に違いを感じる。
最初の印象…、ショッキングなまでの生々しい印象...、もしかしたら眼を背けたくなる時さえあるかもしれない狂気的な印象...、その狂気的な印象に耐えながら(?)も、観ていると、時間を追うごとに、妙に惹きつけるものを感じるのです。
惹きつけられて感じる印象は、何処か滑稽さ、人懐こさを伴った穏やかな印象なのです。
この展覧会で怪醜なる言葉を見掛けましたが、それは確かに間違いない表現のひとつかも知れません。
また、蕭白の絵を観ていて、狂気やグロテスクさを感じることがあるかもしれませんが、そもそも、描かれている画が伝えるテーマや物語そのものとその怪醜的印象は繋がっているのです(この繋がりこそが蕭白の超絶技巧的な画の巧さでもあるかと思います)。
でも、蕭白の画の楽しさは、描かれた怪醜の奥底から滲んでくる「蕭白の気配」なのです。
蕭白の画には、描かれた絵そのもののから伝わってくる印象とは別に、描かれたその時の蕭白自身の感情とか気分とかが潜んでいるように思うのです。
絵の中には、華やかに、綺麗に描かれるものとそうでないものがあれば、「そうでないもの」を蕭白は自身の感情とか気分で描き上げているようなのです。
そして、その感情や気分は、気難しいかったり、自虐的だったりするものではないようなのです。
蕭白の作品に描かれている「人」や「獣」たちを観ると、怒りに狂った様や激しい気性に満ちた様はなく、ちょっとした笑みやユーモラスさをみることが出来るのです。
画歴や氏素性よりも、画を観ていれば、伝わってくるものが感じられる。
蕭白自身...、大らかで、豊かさを感じさせる気配があったのかもしれませんね。
*最後に..、掲載画像は、今回の展覧会の図録と展示されていた画のポストカードです。
蕭白の怪醜に満ちた画は、お好みもあるかもしれないので控えました。ご興味ある方は捜してみて下さい。
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