季節のおすそ分け...、紅葉、圧巻でした

02.jpg先日、京都.東福寺の紅葉を堪能して参りました。

感動のおすそ分けと言っては失礼かもしれませんが、あの素晴らしい紅葉の感動を僅かですが、ご紹介をさせて下さい...。

東福寺は、臨済宗東福寺派大本山で、国宝指定の三門、方丈、開山堂、観音堂などの建築と数々の塔頭をもった大伽藍のお寺です。
また、街の中の寺院でありながらも、その広大な伽藍には、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があって、臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋が架かっているのが京都市内では他に類をみない寺院です。
特に、通天橋からみる紅葉は、京都紅葉の名所にも挙げられています(私としては、日本の紅葉でも指折りの素晴らしさなのではと思います)。

wikiで東福寺を調べると、歌川広重が通天橋の紅葉を浮世絵で残しているんですね。
江戸の頃から、通天橋からみる紅葉は人の眼を楽しませていたんでしょうね。

一番最初の画像は、通天橋を渡って、本堂に向かって撮った写真です。

東福寺の見どころは、紅葉、三本の橋の他に...、ご存じ方も多いかもしれませんが、昭和の作庭家.重森三玲が手掛けた庭園があります。
方丈に対して東西南北の四方に配された"八相の庭"は、"人間がつくった"自然"を想わせるようでもありながら、禅宗大本山の方丈にあるせいか、どこか哲学的というか、"禅"の思想のようなものが肌で伝わって来ました...。
もちろん、この方丈を囲む"八相の庭"は、訪れる人によって見え方、感じ方は決定的に違うとは思います。

是非とも、東福寺に行かれた際には"八相の庭"で時間を過ごしてみて下さい。

01.jpgこちらの写真画像は、通天橋の傍らのお庭で撮影しました。
この日の天気は、午前は晴れ、午後から曇り、そして、雨の予報でした。この写真を写した時間は午前10時前だったと思います。
みる角度や陽光の加減で紅葉の姿は確実に変わります。

この紅葉写真ですが、レタッチ/画像処理は加えていません。

いま写真画像をみても、あの時の紅葉は言葉を忘れる程に圧巻だったと思います。


もうひとつ...、私が訪れたこの日には、東福寺の中で特別拝観されている塔頭がありました。

龍吟庵と言う塔頭で、三本の橋の中で最も小さな橋/偃月橋を渡ったところにあります。
私は、寺院の塔頭を憶えるほど詳しくはないし、興味も深くはないのですが、龍吟庵の名前は知っていました。

重森三玲の枯山水庭園がここにもあると聞いていたからです。

実は、私は、東福寺には、これまでにも幾度も訪れたことがあります。
十数年前には、特別拝観もなかったし、近年この季節に東福寺に訪れる機会もなかったため、龍吟庵には入ったことがありませんでした。

00.jpg龍吟庵のお庭は、その方丈を囲んで..、東.西.南にそれぞれ枯山水が配されています。

同じ重森三玲が手掛けた方丈庭園である"八相の庭"が哲学的、あるいは"禅の思想的"な雰囲気を感じたのですが、こちらの方丈庭園/枯山水からは、まったく別の雰囲気が伝わって来ました。

もちろん、訪れる人によって感じるものは違うと思いますが..。

龍吟庵からは、あまり感動的な紅葉をみることは出来ませんでした。
時季的、タイミング的には龍吟庵の紅葉も美しいのかもしれませんが、私が訪れたこの日、この時間の龍吟庵には、息を呑む程の紅葉はなかったのです。

こちらの写真画像は、偃月橋を渡って龍吟庵の玄関のところに散っていた紅葉です。散っていた紅葉にまでにも美しさを感じられるほど、辺りは素晴らしい紅葉に尽くされていたんです。

龍吟庵の庭園のお話ですが...、東の庭は"不離の庭"と名付け名付けられたお庭で、赤い砂が枯山水に使われています。西の庭は"龍門の庭"と名付けられ、"龍の姿"を枯山水で表現されています。そして、"無の庭"と名付けられた南の庭は、ただ、白い砂が白砂を敷いただけの庭。

"八相の庭"の精神性を想うと...、ちょっと人間的な感じが伝わってくると言うのが感想でした。俗っぽいと言う感じはまるでないのですが、どこか"人間"が介する余地がある...、"八相の庭"をみた後の私にとって不思議な空間でした。

ただですね...、龍吟庵の庭園が"八相の庭"に対して劣ると言う感じはありません。龍吟庵の庭園も素晴らしい枯山水です。

龍吟庵の特別拝観は11月です。
この時季以外には、拝観することは出来ません。


11月下旬に某日に訪れた東福寺ですが、日本の麗しさとか美しさのようなもののひとつを垣間見ることが出来ました。

鎌倉時代創建の大伽藍を配する東福寺の建築群。
昭和の作庭家.重森三玲の美学をみることが出来る庭園。
そして、時を忘れるほどの感動的な紅葉。

とにかく..、東福寺の紅葉はお奨めです。

*ただ、早朝から物凄い人です。更に人が増えるお昼からはお奨め出来ないかも知れません。
閑散とした東福寺を知っている私としては、早朝の人の多さも、ちょっと興ざめるものがありましたが、あの紅葉を眼にすると何もかも飛んでしまうほどでしたが..。

見応えがありました..、名刹と陶器窯あるの街

幸兵衛窯のギャラリーです日曜日、名古屋はとても秋晴れで、紅葉日和の一日でした。

お昼、少し前から紅葉を見に出掛けました。

場所は岐阜県多治見市にある虎渓山永保寺...、"夢窓国師が開創され、仏徳禅師を開山とする臨済宗南禅寺派の寺院"とのことです。

国宝の観音堂と国定名勝庭園に指定された池泉回遊式庭園、その廻りを紅葉が囲む景観は見事です。

この庭園に池に架かる"無際橋"を見ると、何となく池と橋を背景に写真を撮りたくなります。名勝庭園たる所以が実感出来ます。


ところで、掲載写真は、紅葉でもなく、名刹や名勝庭園でもありません。ちょっとひねたような感情が見え隠れしている様にも見える獅子の焼き物です。

多治見市は、陶磁器の街であり、街の随所に窯元やギャラリー、陶磁器資料館や私設美術館などがあります。

陶磁器に全然明るくはない私でさえも溜息が出るような作品や何に惹かれるか分からないけれども「綺麗だな..」と想わせる作品やお品を眼にすることが出来ます。

荒川豊藏とか加藤卓男などと言う和楽とか家庭画報の特集の写真でしかみられない巨匠の作品が観られます。

特に..、故加藤卓男の実家である"幸兵衛窯"の展示資料館は圧巻でした。

あるわ♪あるわ♪...、中国、朝鮮、ペルシャの陶磁器や美濃の古陶磁、桃山時代のものまで...、棟方志功の釈迦十大弟子の一枚も床の間に架かっている。
まったくと言って良いくらい眼のない私としては「本物ですか?」と何度も胸の裡で想い返したくらいです。
厳重なケースではなく、程々に展示されている。

どうやら、加藤卓男が、生前、世界中を旅して収集した作品を展示しているみたいなんです。
入場料も数百円程度だし、何よりも人が少ないのでゆっくり観られる。
地方都市の私設資料館特有のゆっくりした時間が楽しめます。

この獅子の焼き物も展示資料館に踊っていたものです。

ちょっと見応えある一日でした...


*おまけ...、この日は訪れなかったのですが、多治見にはカトリックの修道院があります。
永保寺からほど近い丘にあるのですが、綺麗な建物です。以前、中に入ったことがあるのですが、神聖な感じのする空間でした。マリア像がとても綺麗なお顔をしていたのを、随分と年月が経った今でも憶えています。

美味しそうに見えません?

250.jpgつい先日、お店の近くに咲いていたお花です。

写真画像を見ていると...、この"花の彩り"ですが、イタリアンジェラードみたいで、どこか"美味しそう"に見えてきました(笑い)。

造花ではこんな"美味しそうな色"は絶対に出ません。

自然がもたらす"色"の魅力をあらためて垣間見た気がしました。

真夏の街に咲いた黄色い花....

仏桑花とはハイビスカスのこと...梅雨が明けて、本格的な真夏となりました。

掲載をさせて頂いた花は、街角に植えられていたハイビスカスです。
名古屋の大通りには必ずと言っていいほど、街路樹や花が植えられています。

街の中は、不健全な程に自動車が排気ガスを出し、秩序なく立ち並ぶビル群からは殺伐とした空気を感じさせています。
都会ならばどこにでもある光景かも知れません。

そうした街の中で、あえて「色」を捜してみると...、ファーストフードとかGSなどの看板が目に付きます。あとはデパートのショウウインドウか街行く人の洋服やバックの色でしょうか?

そのどれも目を惹くことを意識した色であったり、デザインであったりしていて、色そのものには特徴がある訳でも、魅力がある訳ではありません。

街の中で「色」を捜してみると気を惹かれる様な色は少ないものです。

掲載をさせて頂いたハイビスカスですが、そんな街の中では際立った色で咲いていました。
あざやかな黄色で、とても綺麗な色をしていたので写真を撮ってみました。

このハイビスカスの色ですが、しばらく見ていても飽きません。ずっと眼にしていても綺麗と言う印象が失せることはないのです。自然が生み出す色の力と言うものを街の真ん中で思い知らされる想いがしました。

この色に惹かれて写真を撮っていて...、ちょっと「花」と言う意識や先入観を頭の中で"ずらして"みてみると...、"もの"の形として眼に映してみたのです。
すると、色だけではなくて、「形」をも美しいのです。

このハイビスカスですが、真っ正面からみると、まるで文様のような整った綺麗な形をしています。
咲いているハイビスカス、そのすべてが同じような形であって全く同じではない...、大きさや形がすべて違う。
自然がつくりだしたものである以上、全く同じものであることはありえない。
それでも、咲いているハイビスカスのどれも、整っていて、綺麗な形をしているのです。

こうした形を倣うことで、きっと家紋や西陣織の文様がデザインとして生み出されて来たのだと思います。
いやいや..、自然の美しさに対する強い憧れが文様を生み出したのかもしれません。

今日は、どうやら梅雨の中休みのようです

紫陽花今朝、街で見掛けた紫陽花です。

艶やかな彩りが魅力的な花ですね..。

紫陽花の色は、晴天で見るよりも、ちょっと薄曇りの下で見た方が眼に馴染む様な気がします。

写真では一輪だけを掲載致しましたが、実際には様々な彩りをした紫陽花が数多く咲いていました。

自然が生み出す色や形には、どうやら、そのひとつひとつに個性があるようです。

どの紫陽花を見ても、それぞれの彩りに違いあって、その形にも少しずつ違いがあります。

紫陽花..、あらためて見てみると、不思議な形をしていますね...、人間の想像を超えた姿のようにも映ります。

今日の名古屋は、梅雨の中休みのようですが、明日から本格的な長雨になるそうです...。

白い花をつけた樹

ヒトツバタゴ ナンジャモンジャ「ヒトツバタゴ」なる木で、別名「ナンジャモンジャノキ」。

五月の陽光に照らされた"白い花"は、都会の中であっても自然の"柔らかさ"を伝えてくれています。
特に眼を引く訳ではないのかもしれませんが、明るくて、綺麗な花です。

この「ナンジャモンジャノキ」はお店の近くに植えられた街路樹なんですが。この樹に花が咲くと、初夏の予感を想わせてくれます。

今年の桜..

2014年の桜今年の桜です...。

お店のすぐ近くのお寺から大きな交差点歩道に伸びている桜なんですが、とても見事なので街行く人の眼を楽しませてくれています。

もうすぐChristmas..

献上五葉華文Christmasのイルミネーションが街を彩る季節になりました..

ChristmasPartyをご予定されている方もおられるのではないでしょうか?
お着物や帯でも、小紋や軽い付下、染め帯には、Christmas意識した柄模様のお品を時折見掛ける事があります。ChristmasPartyにも、着物姿はすっかり馴染んでいるようです。Christmasも、着物を愛好する人にとって、大切な暦のイベントとなっているようです。

掲載させて頂いた写真画像の織物は西陣織の袋帯です。
全然、意識していなかったんですが、よく見るとChristmas Colorなんですね。
Christmas意識した西陣織ではないのですが、ChristmasPartyにお使いになられると、さりげない季節感を表現出来ると思います。


一緒に写っているのはKeith JarrettのCDです。
たまたま、私が、ここ1ヶ月くらい前から、眠る前に聴いているCDです。
こちらも偶然、green×redのChristmas Color。

Keith Jarrettは、世界的に有名なアメリカ人のJazzPianistです。
JazzPianistと言っても、Jazz的な印象よりも、どちらかというと透明感ある欧州の現代音楽と言った感じです(彼が契約しているECMレコードもドイツを本社とするJazzや現代音楽を主としたレーベルです)。

greenのCDも、実はJazzの演奏ではなくて、J.S.Bachのフランス組曲をチェンバロで演奏した作品。
redのCDは"ParisConcert"と言うタイトルのPianoの独奏作品(LiveRecording)。こちらは具体的な楽曲を演奏するのではなくて、すべて即興演奏にてステージをこなしています。こちらも古き良きJazzと言った感じではなくて、Classicを想起させるような演奏を聴くことが出来ます(20年以上前、私自身、実際に彼の即興演奏を聴いたことがあります)。

Keith JarrettのこれらのCDは、特にChristmasとは関係はありませんが..、ただ、この季節の夜、静かに耳に響かせながらgreen×redのCDを眺めていると、ちょっとChristmas的なムードを楽しめるかもしれません。

MerryChristmas

燃えるような赤..

燃える紅葉もう季節外れのかもしれませんが..

先日、街の中で、激しいくらいの色艶に彩られた紅葉を見掛けました。
燦々と紅葉を照らす秋の陽光や空気にまでも、まるで色を感じらてしまうくらいの鮮やかさでした。でも、激しいくらいの色艶などと言っても、何故か派手な印象を感じることはありませんでした。激しいくらい..、焼けるような紅葉であっても、派手に感じることはないなんて、自然がもたらす色艶は、人の眼や情緒に馴染みやすいかもしれません。
また、もちろん、その紅葉は、私だけではなくて、偶々近くを通りかかった人の眼も楽しませていました。

師走に掛った頃の話で、紅葉の見頃としてはすでに過ぎてしまっている時季でもありましたから、ちょっと思い出に残る瞬間でしたね。