見応えがありました..、名刹と陶器窯あるの街

幸兵衛窯のギャラリーです日曜日、名古屋はとても秋晴れで、紅葉日和の一日でした。

お昼、少し前から紅葉を見に出掛けました。

場所は岐阜県多治見市にある虎渓山永保寺...、"夢窓国師が開創され、仏徳禅師を開山とする臨済宗南禅寺派の寺院"とのことです。

国宝の観音堂と国定名勝庭園に指定された池泉回遊式庭園、その廻りを紅葉が囲む景観は見事です。

この庭園に池に架かる"無際橋"を見ると、何となく池と橋を背景に写真を撮りたくなります。名勝庭園たる所以が実感出来ます。


ところで、掲載写真は、紅葉でもなく、名刹や名勝庭園でもありません。ちょっとひねたような感情が見え隠れしている様にも見える獅子の焼き物です。

多治見市は、陶磁器の街であり、街の随所に窯元やギャラリー、陶磁器資料館や私設美術館などがあります。

陶磁器に全然明るくはない私でさえも溜息が出るような作品や何に惹かれるか分からないけれども「綺麗だな..」と想わせる作品やお品を眼にすることが出来ます。

荒川豊藏とか加藤卓男などと言う和楽とか家庭画報の特集の写真でしかみられない巨匠の作品が観られます。

特に..、故加藤卓男の実家である"幸兵衛窯"の展示資料館は圧巻でした。

あるわ♪あるわ♪...、中国、朝鮮、ペルシャの陶磁器や美濃の古陶磁、桃山時代のものまで...、棟方志功の釈迦十大弟子の一枚も床の間に架かっている。
まったくと言って良いくらい眼のない私としては「本物ですか?」と何度も胸の裡で想い返したくらいです。
厳重なケースではなく、程々に展示されている。

どうやら、加藤卓男が、生前、世界中を旅して収集した作品を展示しているみたいなんです。
入場料も数百円程度だし、何よりも人が少ないのでゆっくり観られる。
地方都市の私設資料館特有のゆっくりした時間が楽しめます。

この獅子の焼き物も展示資料館に踊っていたものです。

ちょっと見応えある一日でした...


*おまけ...、この日は訪れなかったのですが、多治見にはカトリックの修道院があります。
永保寺からほど近い丘にあるのですが、綺麗な建物です。以前、中に入ったことがあるのですが、神聖な感じのする空間でした。マリア像がとても綺麗なお顔をしていたのを、随分と年月が経った今でも憶えています。

辻ヶ花の羽織...、ちょっとない空気感です。

森健持 羽織辻が花/創作家.森健持氏が手掛けた絵羽織。

辻ヶ花は、そもそも、室町時代から桃山時代にかけて使われていた絞り染めの技法です。
その独特な絞り柔らかな加減と図案、そして彩色からは、古典的とか伝統的とかにはない、古(いにしえ)の空気感を憶えます。

なんとなく、礼装とは少し外れた感じのする羽織に思えるかも知れません。でも、遊心地に踊った感じもなく、むしろ、絞りにも関わらず品位みたいなものもしっかりあって余所行き感が色濃く感じられます。

絵羽織は、染め描かれる柄模様/図案の空間が、着物や帯よりも大きく、また、正面に柄模様/図案が配されるではなくて、後ろ姿を演出するものです。また、コートと違い屋内でも、あえて脱ぐ必要のない羽織は、趣味趣向、装いの格式、意識などが確実に伝わるものなのです。

辻ヶ花が施されたこの絵羽織...、彩色も控えめで、何かを強く表現すると言った印象はありません。彩色/図案も控えられながらも、辻ヶ花特有の香りを巧く伝えています。

草木染め手織紬と型絵染め || 郡上紬と添田敏子..、"着物と帯のあわせ"のCocept

添田敏子と郡上紬以前に、"着物と帯のあわせのCocept"のお話をしたと思います。

着物を着る"その人"の"美意識"こそが、"着物と帯のあわせ"のConceptとなる...、と言うお話でした。

例えば、秋となり冬を迎える..、袷のお着物を帯付きで楽しみ、そして、羽織を楽しむ季節を迎える。
また、時節/時季を感じ取って、着物や帯に"それらを着物の季節"として演出する(秋には紅葉の着物/毬栗の帯など)。

もちろん、TPOを意識した"あわせ"も美意識の表現だと思います。
クラッシックのコンサートに、音楽を想わせる帯(例えば、譜面が染め描かれた染帯)を使ってみると言うものです。

今回の"着物と帯のあわせ"のお話は、着物と帯のバランス感みたいなものをテーマとしてみたいと思います。
ちょっと漠としたテーマなんですが、今回は"趣味趣向の凝ってみたあわせ"の中の"着物と帯のバランス感"を取り上げています。

ご紹介をさせて頂いた着物は郡上紬。
帯地は国画会所属の染色家/添田敏子制作の型絵染め帯。

郡上紬は、「繊細優美」「装飾的な綺麗さ」などと言う言葉とは真逆の空気感のある草木染め手織紬...、紬糸の素材感と何も付加されない"素のまま"の草木の色彩だけで織られた紬織物です。

織物であっても精巧さとか端正さなどは感じられないけれども、織人の感性とか息遣いが、直に伝わってくるような特別な空気感があるのです。


陶器陶芸に例えるならば、楽焼のような存在かもしれません。

こうした空気感ある手織紬ですが...、紬だからと言って、即ち、安易な帯あわせに走ると、実は、帯が"弱く"映ってしまうことがあります。

同じ手間暇を掛けて織られた本場結城紬などは、実は郡上紬に比べて"洗練されたもの"があるようで、そこそこ"着物と帯のバランス"に偏りがあって"馴染んで"くれる場合があるのです。

郡上紬は、染織家の美意識が強く反映された織物に近い"存在感"があるようなのです。
その見た眼は、素朴な手織紬であるようだけれども、実は、個性を秘めているのです。
じっと眼にしていると、最初、眼にした時とは違う色や織の加減が見えてくるし、感じられていた印象が移ろい変わってくるのです。

添田敏子 郡上紬添田敏子さんの型絵染めは、まるで近代西洋絵画の如き強い迫力があります。

ただ、色彩と図案を表現しているのではなくて、染め描かれているもの以上のものが伝わって来そうです。
そう言う意味でも、単純な"型絵染め"に止まるものではなくて、制作者の美意識が「型絵」と言う表現を通じて昇華された...、美術的なニュアンスがあるのです。

こうした染織作品としての帯は着物を選びます。
郡上紬と同じく...、安易な着物あわせは、帯だけが浮いてしまい着物がまるで見えない"あわせ"となります。

着物と帯の"あわせ"を考える際に、趣味趣向が凝らされた着物と帯を"あわせる""重ねる"と言うだけではなくて、それぞれの質感の程度を"あわせ"ることで...、着物と帯、それぞれの存在感が主張過ぎることなく収まるものかと思います。


こちらにて掲載を致しました添田敏子さんの型絵染めは、どうやら「野菜」を基礎図案とされているようです。民芸を想わせる絵画的な型絵染め帯。
そして、郡上紬は、草木の色と手織で織られた紬織の着物。
どちらも民芸的な趣向が感じられる着物と帯です。

着物と帯の存在感だけではなくて、民芸的な趣向と言う雰囲気をも意識した"着物と帯のあわせ"です。