良いお年をお迎え下さいませ..

寒椿今年も残りわずかとなりました。
12月は例年になく寒い日が続いた様に思います。

お店にご来店されるお客様も12月になってからは「今年は寒いですね..」などとお話をされる方が多いように思います。

着物専門店としてお客様をお迎えしていると、こうした冬ならば寒さについての装い..、真綿の織物に羽織/コート。新年を迎える時季となれば、新春を想わせる染帯など..、季節や時季折々の着物/帯、装いのお話となることがあります。
その時季を想わせる装いを想い巡らせる...、和服ならでは趣向かと思います。

さて、こちらの写真画像は椿の花...、寒椿です。街路樹として植えられていたものです。葉の間に隠れるように、咲き始めていました。
鉛色の空が一日を覆っていたような日の夕方近くでしたので、この寒椿の姿と色彩をみていると僅かな間ですが寒さを忘れさせてくれるような想いがしました。

今年一年、このBlogのご愛顧を頂きまして有難うございました。
また、来年もよろしくお願い致します。

品川恭子."八ツ手"の染め帯と山下八百子.本場黄八丈..、これで良いかな?

品川恭子/染帯.八ツ手+山下八百子/本場黄八丈"着物と帯のあわせ"...、山下八百子さんの本場黄八丈と品川恭子さんの染め帯との"着物と帯のあわせ"

さて..、この"あわせ"なんですが、単純に、着物と帯のグレイド的な視点で"あわせ"ている訳ではありません。

そもそも、品川恭子さんのこの染め帯...、"八ツ手"の染め帯をどんな着物に、どんなTPOとして楽しめるのかな、と言った感じで考えていたのですが、眺めているとちょっと他にはない存在感が感じられるようになったのです。

塩瀬素材の生地に"八ツ手"の葉が染め描かれています。
それも、枯れ朽ちて、虫喰い葉となった八ツ手です。
加賀友禅に特徴的に染め描かれている虫喰い葉ではなくて、本当に枯れ朽ちている姿が染め描かれています。

この"八ツ手"なんですが、着物とか帯の図案そのもの以上に、実に巧く染め描かれています。

"ろうけつ染め"の濃淡を巧み使うことで、枯れ朽ちた雰囲気が見事に表現されているんですね..。
こうした作風なんですが、実際にみて知ってしまうと、当たり前の様に、また、ごく自然に眼に馴染んでしまいがちではあるのですが....、"染め描く"ことで、"ろうけつ"の濃淡でこうした雰囲気を表現すると言うのは、あまりみたことはありません。

品川恭子と言う染色家の絵画的センスから生まれたものだと思います。

さて..、こうした枯れ朽ちた虫喰い葉の染め帯なるものは、当たり前なものとして捉えるならば、"趣味趣向に興じたもの"となると思いますが、この品川恭子さんの"八ツ手"から感じる空気感は...、違うのです。

この枯れ朽ちた"八ツ手"なんですが、とても綺麗な感じが伝わって来るのです。虫に喰われ、枯れ朽ちた葉が染め描かれているにも関わらず、とても綺麗な感じ...、清潔感をも感じられるのです。

ただ趣味趣向の染め帯...、ろうけつ染めの帯...、"ちょっと洒落ていますよ"ではないのです。
だからと言って、この枯れ朽ちた虫喰い葉の染め帯が、凛とした手描き友禅の染め帯如き礼装感を伝えるかと言うと..、また、違うのです。そもそも、枯れ朽ちていて礼装と言う訳にはいかない筈ですね。

この"八ツ手"は、染色家.品川恭子さんの美意識から生まれた孤高の存在感があるのです。

こうした存在感をどう使うか..、如何に楽しむかは..、着物との"あわせ"の楽しさに繋がるじゃないかと思います。

品川恭子.染帯+本場黄八丈.山下八百子そこで、山下八百子さんの本場黄八丈...、黄八丈と言うより"鳶"の匂いのある黄八丈を"あわせ"のお着物として取り上げてみました。

この黄八丈は、紬織物でなりながら、通常、紬織物には感じられない特別な感じが伝わってくるのです。

紬織物にありがちな、素朴さとか普段着的な雰囲気はまるでありません。色も...、細かく綾織として織られた多彩色が、独特の色印象をつくっています。おおざっぱに言ってしまえば、鳶色は鳶色なんですが、眼にしている色は、"鳶色"と言う言葉以上の美しさと深さを感じるのです。

この着物は、光の加減や帯とのバランスによって、色の加減や織の表情が移り変わるのです。精緻な綾織と植物からつくられた色が相俟った特別の感じなんだとと思います。

普段着的な空気感はありません。また、いかに綺麗な織物といっても、礼を意識したお着物となる訳ではありません。

"あわせ"のConceptとしては、着物や帯...、それぞれから伝わってくる存在感を"あわせ"てみてみたのです。

色艶や素材感からすると、こうした"あわせ"よりも、もっと馴染む"あわせ"はあるかと思います。
この"八ツ手"の地色や雰囲気から想うと、薄灰色系の江戸小紋とか落ち着いた地色の文様散らしの小紋などに"あわせ"ても違和感なく馴染む筈です。それは違和感や不自然さがない"姿かたち"のバランスを適わせた"あわせ"に止まります。

品川恭子さんの"八ツ手"の染め帯も、山下八百子さんの本場黄八丈も、特別な存在感を持っている...、そして、不自然さなく馴染むのでしたら、着物や帯、それぞれから感じるもの...、メンタルな視点で"着物と帯のあわせ"を探し楽しんでみるのも良いと思います。

本場結城紬と型絵染めの帯..、"普段遣い"のお楽しみ//着物と帯のあわせのCocept

本場結城紬+型絵染め帯地.森田麻里"着物と帯のあわせのCocept"..、今回は"普段遣いのあわせを楽しむ"と言うテーマでお話を進めてみたいと思います。

この"普段遣いの着物"の内容なんですが、これはもちろん、部屋着としてお召しになるお着物に相当するお着物ではありません。
あくまでも余所行き感覚ではなくて..、また街着程度なものでもない..、肌に馴染んだ着物と帯を上手に使いこなすと言うようなイメージとなるのかもしれません。

"普段遣い"と言う"意識"も、ひとつの"あわせの美意識"だと思います。"普段遣い"的な着こなしを敢えて楽しむ...、ですから、むしろ、"着物と帯のあわせ"に隙があってはならない。普段遣い的な着物や帯などに隙があると、本気に野暮さがみえてしまいます。

"普段遣い"と言う印象を狙った"あわせ"...、あまり余所行き感が強くても締まり過ぎた感が残りますし、先のお話をしたように本気で野暮くても抜けた感じとなってしまいます。

もしかしたら"野暮いかも知れない"..、いやいや"その感じが巧み"などと言う程度が狙い(楽しみ)ではないでしょうか?

掲載をさせて頂いているお着物は本場結城紬/地機...、きなり地に藍色の格子柄です。帯地は、国画会で作品を発表されている森田麻里さんの型絵染めです。

本場結城紬は、そもそも"普段遣いのお着物"として捉えられているのですが、絵絣をあしらったり、絣を組み合わせて大胆さが表現された本場結城紬は、"普段遣い以上"の質感や印象が感じられることがあります。真綿だらけの紬織なんですが、手を掛ければ手を掛けるほど"洒落た空気"や"余所行き感"が強くなるようなんです。
また、紬織に向けて制作された袋帯などがあわせられると、"普段遣い印象"は失せて、ほぼ"余所行き"の"あわせ"っぽくなってしまう可能性もあります。


この格子織の本場結城紬には、ちょうど良い程の普段遣い感あります。そもそも、格子織は普段遣い感のある柄です。
染めのお着物でも、格子柄は、あらたまった席やお堅い茶席などには非礼とされています。

この本場結城紬の格子なんですが格子織の紬織物としては、とても良く出来ていると思います。
線で引いたよう格子ではなくて、甘い感じの線で格子が構成されています。色目も"きなり"の地色に対してかすれた感じの"藍色"の格子織...、ギンガムチックを想わせる格子織です。
通常、こうした格子織は"野暮ったい"だけなんですが、さすがに本場結城紬の地機織です。野暮い織物ではなくて、民芸的な手づくり感ある織物に織り上がっています。

陶器に例えるなら名窯で焼かれた織部と言うところでしょうか。
民芸的あり、どこか垢抜けしたところも感じられるのです。

本場結城紬+型絵染め帯地.森田麻里こうした本場結城紬だけで、"普段着的な装い"を演出することも出来ると思います。

季節を想わせる"ちりめんの染帯"とか"紬織の八寸帯"など"あわせる"なら無難なところかもしれません。
でも、先にお話をした"隙"のようなものが生じて"本気で"野暮く"なってしまうかもしれないのです。
ついつい、このギンガムチェックの真綿紬の野暮さに足をすくわれてしまうんですね。

やはり、帯は大切なのです。着物には、それ相当の釣り合い適う帯をあわせるべきなんですね。もちろん、この釣り合いは、帯と着物のお値段の問題ではなくて、感覚や質感、空気感のバランスなんです。

どんなイメージの装いとするか...、装いの意識をもって帯を選びあわせる必要があります。

ここでは型絵染めの帯をあわせてみました。

単純に染め帯と言うより...、制作者の意識がしっかりと表現された絵画的印象の帯です。
"森の中に咲き乱れた花"でしょうか? 絵の質感が印象性を想わせて、何となく民芸的、工芸的な空気感を感じさせる帯です。こうした印象をもった帯なんですが、"普段着感覚"に対して工芸的、美術的な香りを与えてくれるのです。

あくまでも普段着感覚でありながらも、ちょっと"着物に対する想い"が感じられる"着物と帯のあわせ"ではないでしょうか? 余所行きとはちょっと言えない感じです。しかし、野暮いなどとは言わせない工芸的な空気感があるのです。

ただ..、こうした工芸的な空気感が着物や帯にないと"普段着感覚でありながら"+"着物に対する想い"の伝わる"着物あわせ"は難しいのでしょうか? とも考えたくなるかもしれません。

普段遣いを感じさせる着物や帯であっても"あわせの意識"をもつ...、そして、趣味趣向が利いた着物姿とすることが、野暮さに落ちない"あわせ"になるかと思います。

工芸的な空気感と言うのも..、"野暮さ"とは離れたちょっと磨かれた感じのする普段着感覚とも言い換えて良いかもしれません。
"普段遣いの着物あわせ"は、誰かひとの眼を特別に意識するのではない..、趣味趣向を想いながら、装うことを楽しむ"あわせ"になると思います。
質の良い陶器やお道具を使い、そして、愛でるのとちょっと似ているかもしれませんね。、

季節のおすそ分け...、紅葉、圧巻でした

02.jpg先日、京都.東福寺の紅葉を堪能して参りました。

感動のおすそ分けと言っては失礼かもしれませんが、あの素晴らしい紅葉の感動を僅かですが、ご紹介をさせて下さい...。

東福寺は、臨済宗東福寺派大本山で、国宝指定の三門、方丈、開山堂、観音堂などの建築と数々の塔頭をもった大伽藍のお寺です。
また、街の中の寺院でありながらも、その広大な伽藍には、洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷があって、臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋が架かっているのが京都市内では他に類をみない寺院です。
特に、通天橋からみる紅葉は、京都紅葉の名所にも挙げられています(私としては、日本の紅葉でも指折りの素晴らしさなのではと思います)。

wikiで東福寺を調べると、歌川広重が通天橋の紅葉を浮世絵で残しているんですね。
江戸の頃から、通天橋からみる紅葉は人の眼を楽しませていたんでしょうね。

一番最初の画像は、通天橋を渡って、本堂に向かって撮った写真です。

東福寺の見どころは、紅葉、三本の橋の他に...、ご存じ方も多いかもしれませんが、昭和の作庭家.重森三玲が手掛けた庭園があります。
方丈に対して東西南北の四方に配された"八相の庭"は、"人間がつくった"自然"を想わせるようでもありながら、禅宗大本山の方丈にあるせいか、どこか哲学的というか、"禅"の思想のようなものが肌で伝わって来ました...。
もちろん、この方丈を囲む"八相の庭"は、訪れる人によって見え方、感じ方は決定的に違うとは思います。

是非とも、東福寺に行かれた際には"八相の庭"で時間を過ごしてみて下さい。

01.jpgこちらの写真画像は、通天橋の傍らのお庭で撮影しました。
この日の天気は、午前は晴れ、午後から曇り、そして、雨の予報でした。この写真を写した時間は午前10時前だったと思います。
みる角度や陽光の加減で紅葉の姿は確実に変わります。

この紅葉写真ですが、レタッチ/画像処理は加えていません。

いま写真画像をみても、あの時の紅葉は言葉を忘れる程に圧巻だったと思います。


もうひとつ...、私が訪れたこの日には、東福寺の中で特別拝観されている塔頭がありました。

龍吟庵と言う塔頭で、三本の橋の中で最も小さな橋/偃月橋を渡ったところにあります。
私は、寺院の塔頭を憶えるほど詳しくはないし、興味も深くはないのですが、龍吟庵の名前は知っていました。

重森三玲の枯山水庭園がここにもあると聞いていたからです。

実は、私は、東福寺には、これまでにも幾度も訪れたことがあります。
十数年前には、特別拝観もなかったし、近年この季節に東福寺に訪れる機会もなかったため、龍吟庵には入ったことがありませんでした。

00.jpg龍吟庵のお庭は、その方丈を囲んで..、東.西.南にそれぞれ枯山水が配されています。

同じ重森三玲が手掛けた方丈庭園である"八相の庭"が哲学的、あるいは"禅の思想的"な雰囲気を感じたのですが、こちらの方丈庭園/枯山水からは、まったく別の雰囲気が伝わって来ました。

もちろん、訪れる人によって感じるものは違うと思いますが..。

龍吟庵からは、あまり感動的な紅葉をみることは出来ませんでした。
時季的、タイミング的には龍吟庵の紅葉も美しいのかもしれませんが、私が訪れたこの日、この時間の龍吟庵には、息を呑む程の紅葉はなかったのです。

こちらの写真画像は、偃月橋を渡って龍吟庵の玄関のところに散っていた紅葉です。散っていた紅葉にまでにも美しさを感じられるほど、辺りは素晴らしい紅葉に尽くされていたんです。

龍吟庵の庭園のお話ですが...、東の庭は"不離の庭"と名付け名付けられたお庭で、赤い砂が枯山水に使われています。西の庭は"龍門の庭"と名付けられ、"龍の姿"を枯山水で表現されています。そして、"無の庭"と名付けられた南の庭は、ただ、白い砂が白砂を敷いただけの庭。

"八相の庭"の精神性を想うと...、ちょっと人間的な感じが伝わってくると言うのが感想でした。俗っぽいと言う感じはまるでないのですが、どこか"人間"が介する余地がある...、"八相の庭"をみた後の私にとって不思議な空間でした。

ただですね...、龍吟庵の庭園が"八相の庭"に対して劣ると言う感じはありません。龍吟庵の庭園も素晴らしい枯山水です。

龍吟庵の特別拝観は11月です。
この時季以外には、拝観することは出来ません。


11月下旬に某日に訪れた東福寺ですが、日本の麗しさとか美しさのようなもののひとつを垣間見ることが出来ました。

鎌倉時代創建の大伽藍を配する東福寺の建築群。
昭和の作庭家.重森三玲の美学をみることが出来る庭園。
そして、時を忘れるほどの感動的な紅葉。

とにかく..、東福寺の紅葉はお奨めです。

*ただ、早朝から物凄い人です。更に人が増えるお昼からはお奨め出来ないかも知れません。
閑散とした東福寺を知っている私としては、早朝の人の多さも、ちょっと興ざめるものがありましたが、あの紅葉を眼にすると何もかも飛んでしまうほどでしたが..。