おそらくは..、"椿"と言う"一枚の絵"なのです。

福島輝子 椿"型絵染め"なるものは、描かれた絵を一枚の型紙に託し染め上げる染色手法。
型紙より染め描かれた"絵"には、文字通り"絵画"を想わせる空気感が伝わることがあります。


こちらにて掲載をさせて頂いた型絵染めには"椿"なる主題が付けられています。

制作者は"椿"を染め描いているのだと思います。
また、この型絵染めを眼にすると、誰もが"椿の花"と印象を重ねることと思います。

しかし、じっと眼にしていると...、この型絵に染め描かれた"椿"は、私たちの見知っている"椿の花"から離れて行き、現実とはまるでかけ離れた"印象"に誘って行くようなのです。
眼にしているのは、印象の中にあるのは、"椿"と名付けられた"絵"であって...、その"絵"の持つ圧倒的な存在感に心奪われるのです。
制作者の想い感じた"椿"の"姿""かたち""色"が、同時に染め描かれることで、こうした印象に浸ってしまうのかもしれません。

もはや、"絵画"としての存在感を思わせる作品です。

国画会染色家:福島輝子作品

時々、聴きたくなることがあります..

roberta.jpg昨年のロンドンオリンピックの開幕式でポール・マッカートニーが"Hey Jude"を歌っていましたね。
あれから何となく"Hey Judeが聴きたいな"なんて悪戯程度に思っていました。

私のお好み的なお話なんですが..、私は、特に、ビートルズが好きな訳ではありません。
最初に聴いた洋楽のアルバムはビートルズの"Let it be"ではあったのですが...、いま所有しているCDの中にビートルズのアルバムがあったかどうかも記憶に不安な程度なのです。
しかし、ビートルズの楽曲には、時折、無性に聴きたくなる楽曲が私の中にあるようなのです。

ロンドンオリンピックのポール・マッカートニーが歌う"Hey Judeを聴いて..、と言うか観て以来、暇がある時には、頭の中で"Hey Jude..、Hey Jude..、Hey Jude.."。
至極軽い耳鳴りが続いているように...、"Hey Jude..、Hey Jude..、Hey Jude.."。

ビートルズの"Hey Jude"をそのまま聴いても何となく違うような気分..、耳鳴りが止まるような感じではなかったのです。

Amazonで"Hey Jude"のカヴァーを捜してみることにしました。
ポール・マッカートニーの歌声は嫌いでもないし、"Hey Jude"のイメージは彼の声が重なって印象に残っているのですが...、あえて、違う"Hey Jude"を捜してみたんです。

ロバータ・フラック(Roberta Flack)..、アメリカの女性シンガーソングライター。
彼女が昨年(2012年)に"Let it be"なるタイトルでビートルズのカヴァーアルバムを出していました。

"Hey Jude"は3曲目...、ロバータ・フラックは、Soul/Jazzを歌い上げるシンガーです。
ロバータ・フラックのアルバム"Let it be"は、どれもロバータ・フラックの"歌"であるかのようなまでに、歌い込まれていて...、彼女の歌う"Hey Jude"も、そもそも、Soul musicだったの?と言うくらいの濃い雰囲気が漂っているような感じなのです。

実は、私は女性ヴォーカルの声があまり得手ではないのです...、また、特にSoulfulな"Hey Jude"を求めていた訳ではないのですが...、耳鳴りのように響いていた"Hey Jude"は、もう響かなくなりました。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます..。

青いターバンが印象的ですね1月7日月曜日.本日より仕事始めとさせて頂きます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

さて、Blogに掲載をさせて頂いた絵画ですが...、ご存じ"ヨハネス・フェルメール"が描いた最も有名な作品"真珠の耳飾りの少女"です。

新年早々出掛けたのが「マウリッツハイス美術館展」...、レンブラント、ルーベンス、ヤン・ブリューゲルなどの17世紀のオランダ美術を代表する画家の作品が展示されていたのですが、結局は、フェルメールの"真珠の耳飾りの少女"の展覧会みたいなものでした。

私自身、特に、この"真珠の耳飾りの少女"に執心していた訳ではないのですが..、どうやら世界でも指折りの名画と讃えられている作品です。それが日本で観られると言うことなので、とりあえずは...、と言うことでお年始早々出掛けてみたんです。

"真珠の耳飾りの少女"ですが..、噂に違わぬ名画ではありましたね。好きか嫌いか..、訳を問わず..、とても素敵な雰囲気を感じさせてくれた絵画でした。

名画とされる理由は、TV/書籍で解説されている通りだと思います。
私も..、うっすらとなんですが以前にTVで解説されていた内容を憶えていたので、記憶をなぞるように観てみると"なるほど感"を得ることが出来ました。

私個人としては(あまりイカさない視点かもしれませんが)、以前から、この"見返り加減"がとても感じがいいと思っていました。この"見返り加減"は、とても柔らかくて、自然な感じがして(芸術性とかとは別の次元のお話ですが)、ポートレイトのお手本のようにも感じていたんです。

本物の"真珠の耳飾りの少女"は、これまでみてきた写真とは、全く違うくらいに自然な雰囲気で見返っていました。

観ていて想ったんですが..、17世紀は日本では江戸時代の初期になるようですが、その頃のオランダに、この絵画のモデルとなった少女がいて、見返った姿を画家にみせたのだと..。実際には、どうやら、画家が「見返った姿勢」をそのまま描いたのではなくて..、画家のイマジネーションが相俟って描かれた姿であるようです。

でも、"本当に額の中で見返っている"って錯覚するほどに自然な感じがするのです。
これがフェルメールの卓絶した巧さってものかもしれません。

この絵画が描かれておよそ350年間、ずっと見返ったままの姿を保っている訳です。

古い絵画によくある..、時代を感じさせる女性像と言う雰囲気もないし、現代に近い女性の雰囲気とも違う。
背景が黒く描き潰されている分だけ、少女の表情そのものがよく伝わって来るようです。

この少女にとって、ありふれた"見返り"だったのかもしれません。本人の記憶にさえ残らない姿勢だったのかもしれません。でも、画家が捉えた彼女の"ありふれた見返り"は、"真珠の耳飾りの少女"となった..。

巨匠レンブラントやルーベンスにはない空気感の絵画です。
フェルメールの希少性や人気だけだけではない絵画そのものの魅力を感じることが出来ました。

私自身、多分、二度とこの見返った姿を観る機会は巡って来ないと思います。

新年明けて一番のお出掛けとしては、良いものを眼にすることが出来てご機嫌な気分になりました。
よかった...。