新垣幸子作品/絣織九寸名古屋帯..、modern art? 

新垣幸子 絣織の八重山上布新垣幸子氏の染織作品のご紹介です。

絣織の九寸名古屋帯。
彩色は琉球藍と椎。

伝統的な琉球の絣文様とは一線を画されています。

八重山上布と言う印象や概念を忘れてみると...、まるでmodern artを想わせる作品の表現力が感じられます。

「単純な思い付き」とか「奇の衒い」と言ったものはありません。

絣織と植物染めによって表現された「デザイン」には制作者の創造性が伝わって来るようです。

見た眼には個性的と感じられるかもしれませんが、ちょっと時間を掛けて眼にしていると...、ごく自然な存在感みたいなものが伝わって来るのです。

藍と灰色、きなり..、絣織で表現された「デザイン」。
大胆でもありながらも、違和感を感じさせない調和が保たれているのです。

誰にでも出来ることではありません。
卓絶した染織技術と豊かな感性、そして、八重山上布と言う織物に対する愛情が相俟って生まれてくる作品なのだと思います。


*「八重山上布」ついて...

八重山上布は、主に石垣島で生産される麻織物で、その起源は定かではありませんが、少なくても琉球王朝時代まで遡ることが出来ます。八重山諸島に自生する植物による草木で染められるその麻糸は、苧麻糸(ちょまいと)と呼ばれる人間の手で糸績みされた麻糸(緯糸として)を使用します。
同じ苧麻糸で織られた上布との違いは、南国を想わせる色鮮やかな彩色と琉球染織特有の絣文様が織り込まれることです。
八重山上布一反織り上げるのに要する時間は、糸を機に掛けてから、2ヶ月あまりは掛かると言われています。
機織りをはじめる以前に、糸染めや糸整理などの時間を考えると、膨大な時間と手仕事を必要とされる織物なのです。

お単衣の装い...、夏久米島と桶絞り染め帯

夏久米島五月も中頃となって参りましたので"きものあわせ"も、そろそろ"お単衣"を考えてみたいと思います。

今回は、まず"余所行き"を意識した"着物と帯のあわせ"を取り上げてみます。

掲載をさせて頂いたのはお単衣/夏季を予定して久米島で織られた絹織物です。久米島紬と言えば、緯糸に真綿糸が使われるのが普通ですが、お単衣/夏季に向けて織られる久米島紬は緯糸に"単衣を意識した撚糸"が使われています。
手触りは、真綿糸が使われている久米島紬とは、全く別の織物の質感が感じられます。"さらっ"とした単衣/夏季の織物特有の質感です。

色目ですが"きなり"としてみえるかもしれませんが、琉球椎なる琉球織物では比較的よく使われる植物から煮出した色で糸染めが施されています。白色、きなり...、と言うよりもオフホワイトと言った感じです。

余談ですが..、久米島は東シナ海の離島なんですが、無地織...、特に"ゆうな"や"琉球椎"で糸染めされた無地織は、どこか垢抜けした印象が感じられるのです。

お単衣/夏季+オフホワイト+無地織...、ここでは夏久米島を取り上げていますが、こうした組み合わせの織物、または染のお着物は、"もの"に質感が伴わないと"平たい"印象になってしまう傾向が強いので、お着物を選ぶ際に意識的に質感の高いお品を選ぶ必要があります。

夏久米島は、植物染料で糸染めをされ、緯糸を入れるのも"杼"を投げて織られた手織紬です。無地織であっても"深い"んです。
着物としてお仕立てをされると反物以上に質感が浮いて来ます。


この無地織に"あわせ"たのは、紬地に桶絞りと小紋染めが施された染め名古屋帯。紬地と言っても真綿の感触よりもう少し"さらっ"とした手触りがする生地です。
江戸時代の小袖文様が写された染め帯です。
単純に紬地に染めたのではなくて、桶絞りが施されているため、立体感が伝わって来ます。

この桶絞り染めの帯は、特に"単衣"を意識して染められた訳ではありません。
袷の季節でもお使い頂いても良い帯地ですが、ここでこの染め帯を取り上げたのは、着物は単衣と夏季、帯は袷から単衣までと、着物と帯の他の季節を踏まえた使い回しをも考えてみたかったからです。


桶絞り小袖文様染め帯この桶絞り染めの帯と琉球椎の夏久米島の"あわせ"のポイントは、色目のバランスと無地織の着物に対して桶絞りと言う質感ある帯と言う対比を考えてみました。

琉球椎/オフホワイトの無地織は、決して"平たい印象"がある訳ではないのですが、遠目からみるとどうしても「白」として眼に映りがちです、それに対して帯をあまり"あっさり"させるものちょっと...、"あわせ"としては面白くはないような気がするのです。
単衣と言う時季を意識すると、"くどい""重い"印象の帯も控えるべきかと思います。

掲載した桶絞りの小袖文様は、大柄な文様でありながら、彩色の数も控えられているため、"くどさ"や"重さ"と言った印象もなく...、"薄色"の着物に対してならば、単衣的な使い回しが出来るんです。
また、この帯の素材感も、単衣として使われると"より単衣っぽく"感じられるのは面白い事なんです。


こうした"着物と帯のあわせ"のTPOを考えると...

以前、菊池洋守氏の薄色の綾織と西陣織名古屋帯との"あわせ"でもご紹介した"「きちんとした」感じよりも少しだけ「余所々々しい」感じ..、「普段」とは「違う」よそいき感"の「あわせ」"に近いと思います。


    *食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
    *ギャラリー/画廊などでの催し。
    *美術館/博物館などの展覧会。
    *オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。

など..、と言うことになりますが..。

先に、琉球椎で糸染めされた無地織の夏久米島が"垢抜け"した印象が伝わってくるとお話をさせて頂きました。
一方、桶絞りと小紋染めにて表現されているのは小袖文様写しです。この"小袖文様"とは、そもそも江戸時代の華美なる着物だった訳です。"きちん"とした着物から写された文様なんですね。
垢抜けしたオフホワイトの無地織に"かつて華美だった"小袖文様写しの帯との"あわせ"なのです。

"単衣"の季節..、どこか涼感を想わせ、都会的で、ちょっと余所々々しさのある"着物と帯のあわせ"となります。

麗しき手描き京友禅...、絽染帯"扇面に紫陽花"

紫陽花 染め帯扇面に紫陽花が染め描かれた手描き京友禅の染帯。

夏季が表現されている訳なんですが..、その季節感を想う以前に、この「京友禅」の秀逸さに息を呑んでしまうんです。

何かを真似て出来ると言う程度の仕事では決してありません。

琳派が意識されたその趣向は、琳派を写しているのではなくて、琳派そのものを想わせる程に優れています。

京友禅は、職人の分業で製作される訳なんですが、この染帯に携わった職人は、それぞれの仕事の分野で最も"うるさい仕事(精緻な仕事)"を手掛ける人たちなのです。

しかし、すべて手仕事ですから、その時によってコンディションに差が生じる事もあれば他の職人との調和が適っているかどうかも、最終的な出来に影響を及ぼすものです。

この染帯に施された仕事は、すべての仕事において秀逸なのです。

どこが綺麗..、どこが良い..、と言う事ではなくて、図案としても、色の感性としても、友禅の感覚としても、箔の加減としても...、手描き京友禅として調和が取れているのです。

数多の京友禅を観ていると、こうした極上とされる仕事が施されたお品に触れる機会があります。
何時でも「あるもの」でもあるかもしれませんが、必ずしも"そうでない"。
実は、同じ職人が手掛けても「何か」が違うと、綺麗で極上であるかもしれないけれども..、綺麗であり、そして、極上である言葉で表現される..、「それだけ」で留まってしまうものなのです。

やはり、手描き京友禅は、それぞれの仕事を専門の職人が手掛けることで誂えられるため、すべての仕事にデリケートな調和が整った時、言葉では尽くせない感動を伝えてくれるお品が生まれる様なのです。

この「扇面に紫陽花」の染帯です..、写真が画像では、お伝えできない程、実際のお品は本当に感動的です。

八重山上布 染織家 新垣幸子作品展

新垣幸子*染織家 新垣幸子作品展

*会期:6月19日(火曜日)〜23日(土曜日)

南国の苧麻織物である八重山上布の第一人者であり、現在「日本明藝館」に所蔵されている古布の復元品の制作や古来より伝わる染織技術の保存に尽力されている染織家新垣幸子氏の作品展のご案内を致します。

作品展のご案内はこちらでご紹介をさせて頂きます。

作品展までの間、Blogを通じて"八重山上布"と言う織物と"新垣幸子"と言う染織家を作品展と言う括りとは別な視点でご紹介させて頂きます。

*尚、この度の作品展は、本来画廊/ギャラリーにて公開作品展と言うスタイルを予定していましたが、日程調整の都合上、店舗内での開催となりました。
その為、作品販売だけではなくて、参考品/非売品である「復元品の掛軸」やタペストリーなどの展示予定致しています。
店舗内での作品展ですが染織にご関心をお持ちの方はお気軽にご来会下さい。

Korin.. 燕子花図屏風と八橋図屏風

燕子花図屏風 八橋図屏風毎年、4月から5月...、燕子の時季となると東京青山の根津美術館では尾形光琳の「燕子花図屏風」が公開されます。

光琳の作品の中でも「燕子花図屏風」は国宝指定されているだけあって極めて秀逸な作品です。ちょっと関心がある方がご覧になれば、その見事さに得心される筈です。

数年前に、初めてこの「燕子花図屏風」をみた時...、作品保存のために、照明が落とされた展示室の中で「燕子花図屏風」は存在感を顕にしていました。
この「燕子花図」は「屏風」として描かれたのです。
絵画ではあるのですが、六曲一双の「屏風」として描かれているために、パノラマ的に眼に映る訳です。

「燕子花図」は至ってシンプルな絵画です。
金屏風の上に、群青と緑青だけで幾つもの燕子花が描かれているだけです。
しかし、仄暗い展示室の中で、じっと眼にしていると。まるでその絵/燕子花図の中に入り込んでしまう様な錯覚さえ憶えそうなのです。

眼の前に..、光琳の描いた燕子花が咲き誇っているような感じです。

光琳の燕子花は幻想的なのかもしれません。
金色(こんじき)を背景とした群青と緑青の燕子花は、「カキツバタ」であって「カキツバタ」ではない..、眼にする者に「カキツバタ」としてみせても、実は「光琳の燕子花」に引き込んで行くようなのです。

「燕子花図屏風」は絵画でから、どの様に観るか..、どの様に感じるか..、その人次第ではあると思いますが..、とてもシンプルな絵画でありながらも、毎年この季節となると多くの人を魅了して、話題にもなる...。
幻想的と感じるのは私だけかもしれませんが、間違いなく魅力的な絵画でもあると思います。


この時季に根津美術館を訪れたのは、もう一度「燕子花図屏風」を観てみたかったこともあるのですが...、今回は、尾形光琳が「燕子花図屏風」を描いてから10年後に描いたとされるメトロポリタン美術館所蔵の「八橋図屏風」も同時に展示されているのです。
「八橋図屏風」は、「燕子花図屏風」と同様に「燕子花」だけを描いた六曲一双の「屏風」ですが、「燕子花図屏風」にはない「八橋」が描かれた作品なのです。
この二つの作品が並び展示されるのは1915年以来との事です。

「八橋図屏風」ですが...、こちらの作品もすこぶる素晴らしい出来ではあると思うのですが、「燕子花図屏風」が幻想的な印象であるのに対して、「八橋」と言う構造物が描かれているだけあって、少々現世を想わせる予感みたいなものが感じられました。
「橋」がとてもダイナミックに描き込まれているです。
「八橋図屏風」は、「燕子花図屏風」と極めて似ているけれども、結構違う絵画なのかもしれません。

「八橋図屏風」は、毎年メトロポリタンから来る訳ではないので、時間を掛けて観ようと思うとNewYorkまで行かなくてはなりません...。

名残惜しかったのですが、また、何時か逢える時を信じて帰って参りました。

参考までに...
根津美術館はこちらです。
「燕子花図屏風」はこちらです。
「八橋図屏風」はこちらです。

白い花をつけた樹

ヒトツバタゴ ナンジャモンジャ「ヒトツバタゴ」なる木で、別名「ナンジャモンジャノキ」。

五月の陽光に照らされた"白い花"は、都会の中であっても自然の"柔らかさ"を伝えてくれています。
特に眼を引く訳ではないのかもしれませんが、明るくて、綺麗な花です。

この「ナンジャモンジャノキ」はお店の近くに植えられた街路樹なんですが。この樹に花が咲くと、初夏の予感を想わせてくれます。

菊池洋守/八丈織の楽しみ術..、もう少し凝らしてみると

菊池洋守+ラフィア西陣織袋帯"余所行きのお着物"としての手織綾織である菊池洋守氏の八丈織の"きものあわせ"を更に展開してみたいと思います。

"無地"印象の着物...、その着物が織物であれ、染めの着物であれ..、ある程度"個性"ある帯を"あわせ"ると、"それなり"のコーディネイトされてしまいます。
教科書的にお話をまとめてしまえば、"それなりの.."も許容の中に入ってしまうかもしれません。

しかし...、わざわざ着物や帯の"あわせ"を想い悩みながら、楽しみを憶える訳です。"それなり"で許容される"あわせ"には"気持ちが飽和"してしまう筈です。

無地織印象でも...、最も"美しい手織"と思われる八丈織の楽しみを、"個性"を想いつつも"余所行き"な"あわせ"を挙げてみたと思います。
要するに、"余所行き"的な"あわせ"を基本として、もう少し"遊び感性"を入れてみる訳です。

掲載写真にて"あわせ"てみたのは西陣織袋帯です。

前回"あわせ"てみた名古屋帯とは同じ西陣織でも、趣が違います。
前回の西陣織には、綺麗で柔らかな印象を感じられました。そして、趣向を感じさせつつも、礼装感を漂わせてくれたのです。

ここで"あわせ"た西陣織は、"礼"を意識すると言うよりも着物と帯の"趣味/趣向"を楽しむことを目的とした西陣織なのです。

一見すると..、"丸文様"と"三角文様"、"グレイ"と"茶色"と"ベージュ"が感覚的に織り組み合わされているかの様ですが..、実は、丸文様も三角文様も、"正確"な幾何学的文様ではないのです。
一見すると"規則的"なのですが、よくみるとひとつひとつが少しづつ違う形をしているのです。もちろん、意図的に不均一にしているのです。

この織文様は、日本古来の文様ではなくて...、アフリカ/クバ族が"ラフィア椰子"を使い織り出す織物を写した文様なのです。

菊池洋守/綾織+ラフィア西陣織袋帯西陣織が写し再現された"ラフィア椰子"の織物は..、その民族的な印象から"趣味/趣向を楽しむ"西陣織の美意識を伝える織物となるのです。

"余所行き"的な織物に、こうした趣味/趣向の濃い帯地を"あわせ"ことで、"遊び心"ある"余所行き感"を表現することが出来るかと思います。
この"遊び心"は、単純に"目先が変わった"だけのものではなくて、染織に対する、または織物に対する深い理解を想い伝える"遊び心"なのです。

ちょっと"教養的""文化的"な趣味趣向を想わせる"きものあわせ"となるのではないでしょうか..

さて、この菊池洋守/綾織と西陣織袋帯のTPOですが..、

  • *ギャラリー/画廊などでの催し。
  • *美術館/博物館などの展覧会。
  • *オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。
  • *お茶会/花展などの催し。

概して..、"余所行き"でありながらも"礼"に対する意識よりもLifeStyleとかCultureを感じさせる装いとなるのです。ですから、TPOを想定しても、やはり、Cultureを想わせる"場"や"席"がふさわしいかと思います。


菊池洋守/八丈織の楽しみ術..、ちょっと余所行き感

菊池洋守 綾織 違い市松織"きものあわせ"..、今回は八丈織と称される織物を織る染織家.菊池洋守氏の綾織をテーマとして"あわせ"をご紹介致します。

まず、菊池洋守と言う染織家についてなんですが、お話をはじめると長くなるので..、また、BlogCategory/"染織家"にてあたらめてご紹介をさせて頂くことにします。

掲載させて頂いた織物は、綾織...、一般的な紬織物と比べて、とても綺麗な織物です。
右に少々大きな画像を配したのは、通常の"着物と帯のあわせ"画像では、織物としての質感が伝わらないため、敢えて掲載させて頂きました。
彩色も綺麗なんですが、綾の目の細かさと精緻さは、手織の織物としては"これ以上ない"くらいの精巧性です。

こうした八丈織/織物に近い織物として、西陣織の風通御召がありますが...、その風通御召の中でも極上品質の織物であるなら"しなやかさ"と言う点では"近い"かもしれませんが、織物としての美しさと言う美意識では、まったく別の次元の織物であるかと思います。
一言で申し上げれば、高度な織物産業の製品と、一個人の染織家の美意識が昇華した作品との違いでしょうか...。


この織物にまつわるお話はこれぐらいにして..。

こうした"綺麗な織物"は、"普段使いの紬織物"とは違います。
ご覧になった印象..、"余所行きのお着物"としてお召しになることが出来る織物です。

この織物を織物としてみるのではなくて、視点を変えて..、江戸小紋、特に三役と称される江戸小紋の中でちょっと格式ある江戸小紋の様な品格に近い捉え方をして如何でしょうか?

織物ではあるのですが、真綿糸や紬糸が使われている訳ではありませんし、絣でも縞でも格子でもありません。マットな印象ではなく、艶やかで、綺麗な印象です。
綾の目が立ってはいますが、この織物は、間違いなく"無地のお着物"として眼に映る織物です。

菊池洋守氏の"この類(無地織感覚)"の綾織に"縫紋"を入れられて"略礼"のお着物とされる方もおられる程です。

そう捉えると江戸小紋三役に近いと思われます。

菊池洋守/綾織 西陣織九寸名古屋帯そもそも、とても綺麗で、精緻な綾織のお着物です。
まずは、綺麗で、少し柔らかな余所々々しさのある帯を"あわせ"てみました。

左に掲載をさせて頂いた"あわせ"は西陣織九寸名古屋帯との"あわせ"。

着物.それが"綺麗"を印象付ける無地感覚であるため、装いのポイントは帯となります。

"礼装を想わせる帯と"あわせ"るならば、即ち"礼を意識したきものあわせ"となるでしょう..。
"洒落を感じさせる帯"と"あわせ"るならば、趣味性の香る"きものあわせ"として落ち着くかと思います。

ここでの"あわせ"は、礼装を意識した"きものあわせ"でも、趣味性の濃い"きものあわせ"でもない...、ちょっとは幅のある"余所行き感覚"の"きものあわせ"としたのです。

この西陣織の文様..、欧州の織物の文様か、遺跡に残されたモザイクをリメイクした様な文様を想わせます。
ただ、日本的ではない。かといって"洋服感性"とは全く違う。
あくまでも"着物感覚"..、綺麗で、柔らかい印象や清潔感..、そして、僅かに趣向をも想わせます。礼装感までは感じさせない。

こうした"あわせ"は、"きちんとした"感じよりも少しだけ余所々々しい感じ..、"普段"とは違う"よそいき感"の"あわせ"なのです。


さて、この菊池洋守/綾織と西陣織九寸名古屋帯のTPOですが..、

  • *食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
  • *ギャラリーなどでの催し。
  • *美術館/博物館などの展覧会。
  • *オペラ/クラシック、歌舞伎などの舞台鑑賞。

八丈織/着物=綾織の綺麗さが印象的な"装い"となります。

菊池洋守+西陣織九寸名古屋帯先に..、江戸小紋の三役を比較例に挙げましたが..、江戸小紋特有の"お堅い"雰囲気よりも、もう少し"柔らかい"のです。
きっと..、江戸小紋となると「江戸小紋」と言う先入観が「堅さ」を想わせるのかも知れません(それが良いところかと思います)。

この織物は、眼に映った印象が「そのもの」となるのです。
ですから、"きものあわせ"による装いの意識で「余所行き感」を調整出来るのです。


*この綾織..、あまりに細かく精緻な織ですから、ちょっと大きな画像をも入れてみました。

帯揚/帯締は、帯と着物の印象を崩さない同系彩色が無難かと思いますが、ほんの少し帯締に、帯に使われている彩色に近い色を使うのも一興かと思います。

京友禅"観世水"付下をもう少し華やいだ感じにすると..

観世水 付下有職文様/蟹牡丹文様と京友禅"観世水"付下との"あわせ"は"文化的な格調"を予感させてくれそう...、と掲載をさせて頂きました。

ただ、有職文様と上品な彩色の京友禅との"あわせ"は、"落ち着き"と言う効果をも感じさせます。
もしかすると、もう少し"華やいだ"感じを出してみたいと思う場合もあるかと思います。

要するに、着物の品位を保ちながら、DressUpを図ると言うことです。
この場合ですが、有職文様/蟹牡丹文様より華やかな帯を"あわせ"たり、帯締や帯揚にポイントを置いたりする訳です。

但し、着物にはその着物そのものが保っている空気感や雰囲気と言うものがあります。その空気感や雰囲気を"読み"取ること、そして、その着物を着て行く"場所"をも想う必要があるかと思います。

着物の"あわせ"を単純なる自己満足に留めてしまうのか..、それとも、"場所"に適わせた"あわせ"を楽しむか..、と言うことですね。
着物と帯の空気感や雰囲気、存在感をそれぞれ想い、"あわせ"を楽しむと言うことは、感性や知性のようなものを感じさせる様な気がします。

着物や帯に季節感や素材感を求めることは、装いの意識が、"外"に向いていると言うことの様な気がします。
季節を想い、場所に配慮をする...、それは着物を楽しむ意識のひとつだと思います。


お話が長くなりましたが..、さて本題です。

淡く上品な単彩印象の京友禅に、西陣織袋帯を"あわせ"てみました。

この西陣織ですが、豪華ではありませんが、きちんとした礼装感を保っています。あまり強い印象を与えないし、礼装を単純に意識した西陣織にありがちな文様ではありません。むしろ、趣向を想わせる"更紗文様"を主題とした西陣織であって...、その更紗文様を、実に巧く礼装印象に昇華させているのです。

礼装感の中に"趣向"を垣間見ることの出来る西陣織なのです。

この西陣織は、京友禅"観世水"付下に馴染んでくれているとは思いませんか?
彩色のトーンや品格の程度もよく馴染んでいると思います。
有職織物/蟹牡丹文様九寸名古屋帯との"あわせ"とは、また、違う印象が感じられるかと思います。

着物と帯..、それぞれが馴染んでいても、着物が変われば..、帯が変われば..、印象や雰囲気も変わるものです。

帯地に金糸/銀糸が織り込まれ..、袋帯となると、やはり礼装感は高まります。京友禅の保っていた品格に、どこか華やかな雰囲気が感じられる様になりました。
"落ち着いた"品格から"華やいだ品格"と印象の性格が移ろい変わったのです。



さて、この西陣織袋帯と観世水付下のTPOです。

有職文様/蟹牡丹文様と比べて、DressUpしていると捉えて..。

*新年会/賀詞交換会、入学式/卒業式、招待された慶事の"宴"、格式ある来賓としての席。
*食事会や同窓会などの"集い"や"宴"。
*茶会、花展などの催し。

要するに、"晴れの席"でもお召し頂ける"あわせ"なのですが...、あくまでも"招かれる立場"であったり、"来賓"であったりと、派手さを意識すべきではない立場となる場合が好ましい"あわせ"かと思います。

鳥巣水子さんが受け継いだもの...、残したもの...

私の花織 花絽織鳥巣水子さんと言う染織家がかつて居られました(2004年に鬼籍に入られました)。

鳥巣さんは、草木染め紬織の制作において、染織家志村ふくみ氏に師事され、九州を拠点に作品制作のみならず、後進の指導にも尽力を尽くされていました。
現在、伝統工芸会の正会員や理事に席をおいて居られる染織家の方の中にも鳥巣さんに師事された方も居られます。

また、後年、羅織にて人間国宝となった西陣織染織家北村武資氏が主宰された研究会にも参加され薄機(usuhata)をも学ばれました。

私は鳥巣水子さんの作品を残念ながら扱う機会を得ることが出来ませんでした。
すぐ目の前を通り過ぎて行ったことはあるのですが、「取り扱う」と言う"運"が私に与えられなかった様です。


鳥巣水子さんの染織作品は、とりあえず"美しい"に尽きるのです。

そして、どこの誰でもない創造性と独創性に満ちています。

染織作品、または美術工芸品であっても..、その作品のどこかには、何かの..、先人の影響が残されていることがあります。

もちろん、それは作者の初期作品にみられる傾向かも知れません。作品の完成度が高まるにつれて、過去からの影響は薄れて行くもののようです。


鳥巣水子さんの作品を眼にした時、その作品が一体何であるかを直ちに理解することが出来ませんでした。
まるで「ものを感じる感情」がその作品に吸い込まれてしまったような感覚だけが残された...、そんな感じだったのです。
それほど、感情に響く美しさを保ち、完成された美しさに満ちていたのです。

鳥巣水子さんの作品の殆どは、帯地かタペストリーです。
しかし、その染織作品には、志村ふくみ氏や北村武資氏の影響を垣間見ることはありません。
草木染めによる糸染めと花織/花絽織を駆使して作品を制作されて居られました。
どこを、どの様にみても..、作品は、余すところなく"鳥巣水子"の美意識が漲っているのです。

志村ふくみ氏は草木染め手織紬と言う分野にて大きな功績を残しています。北村武資氏は羅織と経錦の二つの分野で人間国宝に認定されています。その両氏に師事を受けた鳥巣水子氏は、間違いなく"伝統"を正確に学び、正確に伝統を継承していた筈です。

鳥巣水子さんの作品は、敢えて言えば、沖縄の花織に近いかもしれません。
しかし、近いと感じるのは、染織技法が琉球染織に倣っているかの様に止まるだけで...、作品そのものの表現手法は、やはり、どこの誰にも似ていない、鳥巣水子さん自身の表現手法のような気がするのです。


現在、鳥巣水子さんの作品は博物館/美術館の所蔵品の中で観ることしか出来ませんが、過去に求龍堂から出版された「私の花織・花絽織」には、制作された数多くの作品が精巧な撮影によって掲載されています。
この「私の花織・花絽織」を観ていても、鳥巣水子さんの染織作品を通じての美意識の高さと伝統に根ざした染織技術の高さを伺い知ることが出来ます。




鳥巣水子さんに師事された染織家の方々ですが、先にお話をさせて頂いた様に、現在では既に、その染織家の方々の中には、後進の指導をされる立場の方も居られます。

その方が誰であるかと言うお話はさておき...、鳥巣水子さんに師事され、かつ、作品性を継承しつつ、作品制作を続けて織られる染織家の方も居られるのです。

堀直子 雪の精 藍木綿花織帯伝統工芸展にて作品を出品されている染織家の方では...、恐らく、鳥巣水子さんの作品をご覧になって、惹かれた経験のある方は、こうした方々の作品を眼にされると直感的に重なってしまうかもしれませんが...、堀直子さんの作品が、制作手法、印象、表現性の点において近いのではないかと思います。

堀直子さんの藍木綿花織帯は「第55回 日本伝統工芸展」で日本工芸会会長賞を受賞されました。

この時の伝統工芸展の会場で、私はある染織家の方に「鳥巣さんの後継には堀さんが居られるじゃないですか...」と言われて、いろいろとお話をされた中で、確か..、"堀さんは、鳥巣さんの作品を実によく理解されて、またご本人の作品として表現されている"と言うようなお話をして下さった...、と記憶しています。

ただ、この堀直子さんは、寡作の染織家なのです。

とりあえず..、過去に、鳥巣水子さんの染織作品を眼の前で見過ごしてしまった経緯があるので..、どうしても心惹かれた作品をひとつだけ手元に留める"運"に恵まれました。


雪の精(yuki-no-sei)/藍木綿花織帯
「この雪の結晶の美しさは、この花織の意匠の美しさ、完成度に止まらず、藍の奥行きまでをも際立たせている...、何一つ、無駄な装飾を見出すことは出来ない」

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