篠田桃紅

 ● 先日の連休最終日(7月16日)。長野県上田市にあるサントミューゼ上田市美術館で催されていた<篠田桃紅-とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち->展に行って来ました。

展示は一部入替があった様ですが、私が出掛けた後期展示でも80点以上の作品を観ることが出来ました。
展示作品の撮影は、もちろん、NGなのでご紹介出来ませんが、1950年前半の渡米以前に制作された作品から、渡米後の作品、そして、抽象性が色濃く感じられる様になる1970年代以降の作品を編年形式で展示されていました。

ここで観た篠田桃紅の作品は、渡米時代くらいまでは前衛的な「書」のイメージが残っていますが、帰国後の作品は「書」は、もちろんの事、「文字」そのものから離れて、心の中から湧き上がってくるものを「墨」で表現している様な感じになって行きます。篠田桃紅が渡米していた1950年代のN.Y.では、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングなどの抽象表現主義が全盛時代だった筈なのですが、作品に抽象性がおびて来るのは、むしろ、帰国後の作品からの様に思われます。
作品解説を読んでいると、帰国(1958年)後は、和歌や能などの余韻や幽玄の美と言った日本の伝統芸能の中にある『美』に影響を受けたような事が書かれていました。作品の中に金箔や銀箔が使われ始めたのはこの時代からです。師を持たず、渡米時代の抽象表現主義にも関わる事なく、日本の古典的な美意識(1500年以上も前の芸術)に惹かれていたならば、それは興味深い話だと思います。
自分が生きている時代の美的な感覚には惹かれなかったってことなんでしょうね。

「書」のイメージを残している作品は、タイトルと併せて観ると何となく「そうなんだ」と思うことが出来そうです。抽象的な作品になると「果たして何なんだ」と思ってしまいます。ただ、墨と箔(出来れば墨だけの作品の方が良いのですが)の作品を、暫く観ていると「分からない事ばかりじゃなくなる」様な気にさせてくれそうです。
欧米作家の抽象作品を1時間観たとしても気持ちの変化に期待出来ないと思いますが、篠田桃紅の作品からはちょっとした精神性みたいなものが伝わって来る予感が残りました。
やっぱり、日本人ならでは『美』みたいなものが作品の源泉になっているからなんでしょうか?

会場内に流されていたVideoの中のお話ですが..、コンラッド東京のopenに際して、ロビーを飾る作品依頼を受けた篠田桃紅は、アトリエからホテルに移し壁に掛けられその時まで筆を入れたそうです。巨大な作品で白の中に赤が象徴的に入れられた作品ですが、open時の支配人は「これでホテルに心が入りましたね」と言ったそうです。もちろん、この支配人は外国の方なんですが、「上手い事」を言うなと思いました。
コンラッド東京に行ったら観てこようと思います。

サントミューゼ上田市美術館
文化的で、開放感が溢れる施設です。

きちんとしたカフェもありました。

遠かったので行くことに迷ってたんですが、行って良かったです。
信州でも、この日、軽く30℃は超えていましたけどね。

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